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神戸地方裁判所 平成3年(人)1号 判決 1991年3月27日

請求者

甲野郁子

右代理人弁護士

後藤玲子

増田正幸

被拘束者

甲野優子

甲野靖子

右両名代理人弁護士

岡本日出子

拘束者

甲野廉士

主文

請求者の請求をいずれも棄却する。

被拘束者両名を拘束者に引渡す。

手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者

1  拘束者は被拘束者両名を釈放し、請求者に引渡せ。

2  本件手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者と拘束者は、昭和五六年六月一五日婚姻の届出を了した夫婦であり、被拘束者甲野優子(昭和五八年二月一四日生、以下「被拘束者優子」という。)、同甲野靖子(昭和六〇年三月一五日生、以下「被拘束者靖子」という。)は、請求者と拘束者との間に生れた長女及び次女である。

2  拘束者は、昭和六三年一〇月より肩書地において甲野産婦人科クリニックの名称で産婦人科医院を開業し、請求者は同医院において婦長として診療業務に従事しながら、被拘束者両名を監護養育してきた。しかし、請求者は、拘束者から平成二年九月頃から、病院の経営がうまくいかない等の理由で生命保険に入るように勧められたり、更には「殴り殺してやろうか。」等と脅迫を加えられたりするようになったため、身の危険を感じ、同年一〇月一六日、被拘束人両名を置いたまま拘束者方を出た。そして請求者は同月三一日に離婚の調停を、平成三年一月九日に子の引渡の調停を神戸家庭裁判所に申立てた。

3  拘束者は病的な潔癖症であるうえ長年乙川春子(以下「乙川」という。)と愛人関係にあり、請求者が家を出た直後から乙川を自宅に呼び入れ被拘束者両名の世話をさせるようになった。しかし、被拘束者優子は請求者が家を出て以降登校拒否状態となり、平成二年一一月には約半分、一二月にはほとんど欠席、三学期は始業式の日に登校したのみであり、平成三年一月九日にはうつ病との診断が下され早急に手当が必要な状況にある。また、被拘束者靖子もほとんど保育園に登園しておらず、同人についてもいつ被拘束者優子と同様の状態になるか予断を許さない状況にある。

4  請求者は家を出た当時、安住の場所も生計を立てるめどもついていなかったが、現在は公団住宅を借り、看護婦としての職にもつき、また被拘束者両名を引き取った場合に両名の監護養育に関して実姉及び近隣の友人の援助を得られる状況にある。一方、拘束者は被拘束者両名の監護養育を一切乙川に任せており、自分では全く監護養育をしていない。また拘束者は病的な潔癖症であることを考えると、請求者の環境の方が拘束者の環境よりも被拘束者両名の監護養育については格段優れている。

5  以上の点からして、被拘束者両名をその母親である請求者のもとで監護養育するのが被拘束者両名に幸福をもたらすことが明らかであり、請求者の意思を無視して被拘束者両名を拘束者の監護に服せしめることは、違法な拘束である、

よって、請求者は人身保護法二条及び同規則四条により被拘束者両名の救済を求める。

二  請求の理由に対する答弁

1  請求の理由1の事実は認める。

2  同2の事実中、拘束者が肩書地で産婦人科医院を開業していること、請求者が婦長として勤務していたこと、請求者が平成二年一〇月一六日に拘束者方から出ていったこと、請求者から離婚及び子の引渡の調停が神戸家庭裁判所に申立てられたことは認め、その余は否認する。

3  同3の事実中、乙川が被拘束者両名の世話をしていること、被拘束者優子が請求者の家出以降登校拒否状態になり、またうつ病との診断が下されたこと、被拘束者靖子が保育園に登園していないことは認め、その余は否認する。

4  同4及び5の事実は否認する。

三  拘束者の主張

1  請求者が家を出て以降、当初は拘束者及び同人の兄嫁が被拘束者両名の面倒をみていたが、平成二年一一月頃からは乙川が手伝いに来てくれるようになり、以降被拘束者両名は乙川になついている状況にある。

2  被拘束者優子が登校拒否を始めたのは、請求者が家出したのち拘束者に無断で被拘束者優子に会った平成二年一一月一〇日前後からであり、平成三年一月にはうつ病の診断が下れた。担当医の島田医師によると原因は被拘束者優子の望まない両親の不和の状況が生じたことによる精神的打撃によるものであるということである。被拘束者優子は島田クリニックで投薬治療を、神戸市総合教育センターにおいて週一回のカウンセリング治療を受けており、一時改善の方向に向かっていたが、請求者が被拘束者優子に無断で会ったため退行現象が生じ、以前の状況に戻っている。

3  被拘束者靖子は保育園に行きたがっているが、被拘束者優子の症状が悪化したことにより同人に手がかかるようになったこと、保育園が拘束者の申出に反し被拘束者靖子に請求者を面会させたこと等のために保育園に行くことを止めている。

4  被拘束者優子は学校にいかない時にはテレビを見たり、人形遊びをしたり、近所の友達と遊んだりしており、また被拘束者靖子も同様に近所の友人と遊ぶ状況であり、拘束者は被拘束者両名の自由を拘束してはいない。

5  請求者は、被拘束者両名を置いて今回と同様に家出を繰り返しており、被拘束者の監護養育について何ら建設的なことをしていない。一方、拘束者は経済的にも充実し、被拘束者優子のために必要な治療を受けさせていること、また被拘束者両名は乙川にもなついていることを考えると、被拘束者両名にとっては請求者のもとよりも拘束者のもとで生活する方が幸福である。

第三  疎明関係<省略>

理由

一当事者間に争いのない事実

請求者と拘束者は、昭和五六年六月一五日に婚姻の届出を了した夫婦であり、その間の長女・被拘束者優子が昭和五八年二月一四日生れの現在八才一か月の学童であり、次女・被拘束者靖子が昭和六〇年三月一五日生れの現在六才の幼児であること、請求者が平成二年一〇月一六日に拘束者方を出て、同月三一日に神戸家庭裁判所に離婚調停を、平成三年一月九日に子の引渡の調停を申立てたこと、被拘束者優子が平成二年一一月頃から登校拒否状態となり、平成三年一月頃うつ病の診断を受けたこと、被拘束者靖子も保育園に登園していないこと、拘束者が昭和六三年一〇月から肩書地において甲野産婦人科クリニックの名称で産婦人科医院(以下「医院」という。)を開業していること。

二拘束の有無

1  右争いのない事実によると、被拘束者靖子が意思能力のないことは、その年齢から推して明らかであり、被拘束者優子についても年齢が未だ八才一か月に過ぎないので、誰によって監護養育されることが、自己にとって最も幸福であるかというような重要な事項について未だ的確な判断はできないものと考えられるから、意思能力がないというべきである。

2  そして、意思能力のない学童及び幼児を監護する行為は、当然にその者の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その監護自体が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当すると解するのが相当である(最判昭三三年五月二八日判決、民集一二―八―一二二四)。

したがって、拘束者は被拘束者優子及び被拘束者靖子を拘束しているものというべきである(以下、この拘束を「本件拘束」という。)。

三本件請求の許否の規準について

人身保護請求の要件として人身保護規則四条は「拘束が権限なしにされ」たことを要件の一つにあげているが、右は「拘束が違法であること」と理解すべきところ、夫婦の一方から他方に対し共同親権に服する子の引渡を請求する場合には、子に対する現在の拘束状態が実質的に不当であるか否かをも考慮すべきであり、右当否の判断にあたっては夫婦のいずれに監護せしめるのが子の幸福に適するかを主眼とすることを要する(最判昭四三年七月四日判決、民集二二―七―一四四一)。ただ、離婚の場合の未成年の子の監護者の終局的決定は家庭裁判所における調停、審判あるいは人事訴訟手続においてなされるべきものであることを考えると、共同して親権を行使すべき夫婦が夫婦関係が破綻に瀕し別居に至っている状況のもとにおける夫婦の一方から他方に対する共同親権に服する子の人身保護法に基づく引渡請求は、右の各手続により相当期間内に救済の目的が達成されないことを理由に許容されるものと解すべきである。このことから、子の幸福についての判断は、遠い将来にわたる長期の監護を想定してなすべきではなく、右の各手続により恒久的に監護者が決定されるまでの暫定的期間についてなすべきであり、かつ、現に監護している者の監護下に置かれるよりも、他方の監護下に置かれる方が明らかに子が幸福であると認められる場合に限り、違法な拘束として、人身保護請求が認容されるべきものである。なお、右の状況においては、夫婦が共同して監護することは事実上不可能であることから、夫婦の一方が単独で子を監護することをもって当然に不適法ということはできない。

四本件拘束の違法性の有無について

1  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  拘束者側の事情

(1) 拘束者は、昭和六三年一月に肩書地に土地(673.15平方メートル)及び鉄筋コンクリート三階建建物を購入し、右一階部分(246.55平方メートル)及び二階部分(215.20平方メートル)を医院として使用し、一階は外来患者の診察室、二階は入院者用のベッド七台、シャワールーム、厨房等が備わっており、三階部分(160.95平方メートル)は住居として使用しており、右住居の間取は八畳、六畳の和室、主寝室、子供部屋二室、ダイニングキッチングの五LDKである。右敷地は請求者と拘束者の共有(持分二分の一)、建物は拘束者と拘束者が代表取締役となって設立した株式会社コウノヘルシー・カンパニーの共有(持分前者二二五分の一三三、後者二二五分の九二)となっている。また拘束者は開院に際し約二億二〇〇〇万円の借入をしたことから、右敷地及び建物には共同担保として債権額四一〇〇万円の抵当権並びに極度額一億〇五〇〇万円及び四六〇〇万円の根抵当権が設定されている。

(2) 医院の経営状態は、従業員は一二名、外来患者は一日約二五名、入院患者は平均三名であり、一年間の収入は約七〇〇〇万円であるが、人件費は一か月約二〇〇万円以上、前記借入金の返済金として毎月二二〇万円、その他機器のリース料・光熱費等の支出があり、経営は必ずしもよくない。

(3) 拘束者の日常業務は、午前八時三〇分から一階の診療所に下り、午前九時から午後〇時まで及び午後五時から七時三〇分頃まで外来患者の診察を、その余の時間に入院患者の診察等を行い、三階の住居に上がるのはほぼ午後八時から一〇時頃である。医院の休診日は木曜及び土曜日の午後、日・祝祭日となっている。

(4) 拘束者は、信州大学医学部を卒業後医師国家試験に合格し、医師としての経験を積んでいる者である。同人は、中学生の頃から強迫神経症の症状があり、一時治療を受けたこともあり、その影響もあって、診療所内及び診療後の自己の身体に対する清潔に関しては非常に気を使い、医院関係者に対しかなりの程度の潔癖を要求している面が見られるが、その余の日常生活においては特段異常とまでいえるような行動はなく、同人の右性癖のために被拘束者両名に対して特に悪影響を与えている状況は認められない。

(5) 請求者が家を出て以降は拘束者が中心となって被拘束者両名の日常生活の世話をしていたが、平成二年一一月中旬頃からは以前拘束者と情交関係を有していた乙川が手伝いに来るようになり、現在は同人が拘束者方に寝泊まりして殆ど中心的に日常の食事、身の回りの世話をしている。拘束者は平成三年一月頃に被拘束者優子の表情がおかしかったので、同女を島田クリニックに連れて行き診療を受けさせたところ、うつ状態である旨の診断を受けたことから、以後島田クリニックでの月一回の診療(投薬)及び神戸市総合教育センターでの週一回のカウンセリング治療を施している。拘束者は、請求者に対する関係では問題のある行動をとったこともあったが、被拘束者両名に対しては、請求者が家を出た以降は前記のような執務状態にあるため十分な時間はとれないもののできるかぎり接触を持つように心掛け、乙川と共に休日には被拘束者両名を連れて外出したり、被拘束者優子のうつ状態を改善させるためのカウンセリング及び遊戯治療に同行したりし、被拘束者靖子の保育園への送り迎えもした。なお、拘束者は、被拘束者靖子が平成三年四月小学校入学の予定でもあり、被拘束者優子の病気のため人手がかかること、保育園が拘束者の申出に反して保育園内で請求者に被拘束者靖子を面接させたこと等から、同人を平成二年一二月以降保育園を休ませていたが平成三年二月二八日に退園させた。

(二)  請求者側の事情

(1) 請求者が被拘束者両名と共に居住することを予定している居所は、神戸市北区のひよどり台団地(五階建)の二階で、間取りは六畳、4.5畳、ダイニングキッチンの二DK、家賃は一か月四万七五八六円である。

(2) 請求者は、大阪大学医学部付属助産婦学校を出て、看護婦、助産婦の資格を有する。請求者は、平成二年一一月一日より、社会保険神戸中央病院産婦人科に看護婦として勤務し、手取り収入が一か月約二三万円、勤務形態は三交代制で、実働時間は日勤は午前八時三〇分から午後五時三〇分まで、準夜勤は午後四時三〇分から午前一時三〇分まで、夜勤は午前〇時三〇分から午前九時三〇分まで、休日は四週六休であり、月四回ずつ夜勤、準夜勤を担当することとなっている。

(3) 請求者は、被拘束者両名を引き取った際には、被拘束者優子についてはひよどり台小学校に転校させ、被拘束者靖子については同校に入学させる段取りを考えている。そして、両名の日常の世話については、平日は午後五時まで学童保育で面倒を見てもらい、その後は請求者が準夜勤を担当する日は午後五時三〇分から午後一〇時まで、夜勤を担当する日は午前七時から被拘束者両名が学校に登校するまで、休日出勤の日は午前九時から午後五時まで、幼稚園の先生の資格を有するベビーシッターである石崎明子に依頼し、同人との間では夜勤、準夜勤の日の分は時給一〇〇〇円、休日の分は時給七〇〇円の賃金を支払う約定がなされている。また、それ以外に緊急の場合には、請求者の知人である山田茂樹夫妻、大嶋博道夫妻の援助を受ける準備をしている。

(三)  被拘束者両名の状況

(1) 被拘束者優子は、請求者が家を出て以降の平成二年一一月頃から登校拒否となり、同月は約半数、一二月はほとんど登校しておらず、平成三年一月も始業式に登校したのみでそれ以降は欠席が多い。現在は三日に一度程度好みの授業にのみ出席する状況となっている。学校に登校していない日は、自宅内で被拘束者靖子と遊んだり、テレビを見たり、人形遊びをしたりする他、近所の友人宅へ行き遊んでいる。また、同人は登校拒否を開始して以降表情が優れなかったことから、平成三年一月島田クリニックにおいて診断を受けたところ、うつ状態である旨の診断を受けた。それ以降月一回右クリニックにおいて投薬治療を受けるとともに、毎週一回神戸市総合教育センターでカウンセリング、遊戯治療を受けている。

(2) 被拘束者靖子は、平成二年一二月以降は保育所に登園していないが、心身に異状はない。保育所に登園しなくなってからは被拘束者優子と同様室内での遊戯や近隣の友人宅へ遊びに行っている。

(3) また、被拘束者両名は乙川の世話を受けているが、同人に対して嫌悪感を抱くことなく生活を共にしていることが認められ、一方父親である拘束者に対してもこれを敬遠する等の感情を有している事実を認めることはできない。

なお、拘束者は、平成二年一二月末、請求者に被拘束者両名との面接を認め、請求者が被拘束者両名を自宅に連れ帰って一夜を過ごしたことがあり、また家庭裁判所の調停において、請求者と被拘束者両名との面接交渉の機会が約されている。

2 以上の事実を総合すると、被拘束者両名は、拘束者のもとで同人と以前情交関係にあった女性の世話を受けるという子の育成にとって必ずしも良い要因とは認めがたい状況下に存在することが認められるが、請求者に関しては、拘束者と較べて被拘束者両名を監護養育するだけの経済的基盤及び監護体制が具体的に整備されていると認めることはできず、また、被拘束者優子のうつ状態は両親の不和に原因があると推認されるところ、請求者のもとに被拘束者両名が引き渡されることにより右うつ状態が改善されることの保障は認められない。また、幼児は母親の膝元で監護養育されることが好ましいとの一般論は否定できないにしても、拘束者は父親としての愛情をもって被拘束者両名の監護養育をしているし、学童及び幼児の育成上生活環境の安定性、連続性は極めて重要であることもまた否定できないところ、本件においては、被拘束者両名は現在まで請求者が家を出てから既に五か月(本件請求時まででも三か月)にわたって拘束者のもとで日常生活上不当な制約を受けることなく生活をしていること、また被拘束者優子についてはうつ状態の治療を継続的に受診していることは前認定のとおりであり、請求者に被拘束者両名を引き渡した場合には被拘束者優子が転校を強いられることを考えると、被拘束者両名は拘束者のもとで一応安定した成育状態にあると認められるから、監護者が最終的に決定するまでの間に被拘束者両名を新たな環境に移すことは、その幸福のために得策であるとはいえない。

その他、請求者による監護が拘束者によるそれよりも特に優れているとみるべき事情は見出し難い。

3 また、学童及び幼児に対して共同して親権を行使すべき夫婦が別居し、未だ監護者が確定していない場合にも人身保護請求が適用されるのは、監護者が最終的に決定される迄の間、親権者間で実力行使による子の奪い合いを回避することにあると解される。このような観点からは、被拘束者の拘束の開始がどのような態様でなされたかの検討を要するところ、本件においては前記のとおり拘束者宅に請求者及び被拘束者両名が居住していたが、請求者が平成二年一〇月一六日に拘束者宅を出ていったことから拘束者の被拘束者両名に対する拘束が生じたものであり、拘束者が請求者の監護を実力で排したことによって自ら被拘束者両名の拘束を開始したというものではない。

4 以上のことを総合して判断するに、本件拘束は人身保護法二条にいう拘束の違法性が顕著であるとの疎明が充分であると認めることはできない。

五結論

よって、請求者の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、手続費用の負担については人身保護法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官長谷喜仁 裁判官廣田民生 裁判官横山巌)

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